昼 鳥南蛮
夜 カキフライ

90年代のファッションって何だったんだろう。90年代に子供時代を過ごした僕にとって、「若者」のファッションといえば、ジーパンにゆるいTシャツとかジーパンにジャージみたいな感じだった。スーパーカーとかくるりみたいな。あのゆるい感じが良かった。僕もあんな感じになるんだろうと思っていた。
ところがゼロ年台中盤に僕が実際に若者になってみると、周りは髪をワックスでガチガチの「無造作」ヘアに固め、ホストみたいな服を着た奴ばかりになった。
正直ついていけなかった。
そこから僕の暗黒時代は始まったのであった…(唐突に終了)

いやもしかしたら、90年台のおしゃれな人を僕が知らないだけなのかもしれない。でもYouTubeで昔のフェスを見ると、あまり服に金をかけてない感じがするんだよな。

ていうかみんな服に金使いすぎじゃないか?

僕が経験しなかった90年代(とゼロ年台前半)へのノスタルジー。ナンバーガール、ヒップホップ、シューゲイザー

Sayonara-Nostalgia

Sayonara-Nostalgia

昼 とろろご飯
夜 八宝菜


書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

マントを着て仮面をつけるとだれでも月光仮面になれると思って、屋根からとびおりて足を折った人がいた。新聞記事によると、彼はもう四十をすぎた保険外交員で「正義の味方」になりたいと願ったのだ、ということであった。それを読んで私は思ったものだ。「正義の味方になるためには、どうして仮面をつけたり、変装したりしなければならないのだろうか」と

なにか事あるごとに、歌謡曲の一節を口ずさみ、そのモラルをふみ台にして生きていく小市民、自分のクライシス・モメントを、つねにハナ歌まじりで突き破ってゆく街のあんちゃんやおねえちゃん、これらを一まとめにして歌謡曲人間と呼んでもいいだろう

規範を相対化して、自然を称揚するのはソフィストみたいだ。

事あるごとに志村さんや藤原さんの詞をつぶやく僕も歌謡曲人間だろうな。

昼 スパゲティ
夜 コロッケ

精神があれな時に、すぐ効くのは漫画だということに、今頃気付いた。
小説、映画は長すぎるし、疲れすぎた時は音楽も受け付けない。
ただ、僕は萌えもギャグもよく分からないから読む漫画は限られてしまう。

長さは1〜3巻ぐらいがちょうどいい。

昼 スパゲティ
夜 さんま




ストロボライト

ストロボライト


過去を、自分を、他者を、テクストを理解すること。
象徴としての眼鏡。
結局、ミカの物語は語られないんだよな。そこがいろいろなブログに書かれてるモヤモヤ感の原因ではないか。
主人公の抱えた「痛み」を巡る話。
『多崎つくる』みたいな。


青山先生は自分の過去を繰り返し繰り返し反芻するタイプだったんじゃないかな。

昼 目玉焼き
夜 さんま

トカトントンと音がするような気がするが、気にしてはいけないのだ。


ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

昼 うどん
夜 刺身

再読。名著。

ぼくらの中の発達障害 (ちくまプリマー新書)

ぼくらの中の発達障害 (ちくまプリマー新書)

キーワードは異文化理解。
文化人類学関連もちゃんと読みたいな。

発達障害を持つ人たちは、連続性と異質性という二つの視点から捉えた時、はじめて理解が可能なのではないかと思う。すなわち、自分の内にある発達障害に気づくことと、発達障害を持つ人の文化を、自文化と対等な異なった文化として敬意を持って理解しようとすることとの、両者が求められている(p.31)

深く理解するとは、人の心の裏を読む意味ではなく、人の心の底にある本質的な辛さや苦しみを直観的に把握するようなものだと、僕は感じている(p.186)

二村ヒトシの「心の穴」もそういうことだよなー。

昼 そば
夜 カツ

読んでる。とりあえず序章。



現代倫理学

現代倫理学

最近人間らしい生活ができていない。いかん。